Googleロゴ
2016年2月27日
この日、「ドミニカ共和国」でGoogle検索のロゴが以下のものに変更されています。
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表示された国
この日、「Google」のロゴが変更された国は以下の画像の通りです。
ドミニカ共和国
建国記念日
Día de la Independencia:独立記念日
ドミニカ共和国では、毎年、「2月27日」は「独立記念日(Día de la Independencia)」とされています。
「1844年2月27日」に「ハイチ共和国」から独立した日が由来となっています。
ドミニカ共和国の地(イスパニョーラ島)には古くは南アメリカ大陸から移住してきた先住民が暮らしていました。
1492年に、コロンブスが来訪。
それから、スペイン人の移住が始まり、1496年、新大陸初の植民都市「サント・ドミンゴ」が建設されます。
原住民は労働力として酷使され、そのほとんどが死んでしましました。
減った労働力を補うために、アフリカから黒人奴隷が連れてこられました。
しばらくはスペインの統治下にありましたが、1654年、イギリスが西インド諸島に侵攻してきます。
イギリスの侵攻は失敗しますが、イギリスとスペインが対峙している間に、フランスが「イスパニョーラ島」の西部を抑えてしまいます。
1697年、島の西部が正式にフランス領となりました。
しばらくはスペインとフランスが分けあって統治していましたが、1795年に、島全土がフランス領となりました。
この頃から、アフリカ人奴隷による反乱が起こるようになっていました。
1804年、反乱は成功、フランス軍を破り「ハイチ共和国」を建国します。
フランスから独立し、ヨーロッパ圏の支配から解放されたのはよかったのですが、元は「フランス領」と「スペイン領」で別々の政治体制だったため、建国後は対立することも多かったようです。
対立の結果、元スペイン領の地域は、「スペイン人ハイチ共和国」として独自に独立しますが、1822年に「ハイチ共和国」に占領され、再統一されてしまいます。
再統一した「ハイチ共和国」の統治者は「ジャン・ピエール・ボワイエ」さんで、独裁政治を行いました。
そのため、植民地支配に反発する声が次第に高まっていきました。
そして、彼は失脚、その後の「1844年2月27日」、独立宣言が行われました。
・ファン・パブロ・ドゥアルテ
・フランシスコ・デル・ロサルイオ・サンチェス
・ラモン・マティアス・メージャ
以上の3人が中心となった革命軍はハイチ人を一掃し、「ドミニカ共和国」を建国しました。
この独立宣言が行われた日が「独立記念日」とされています。
その後は、「ハイチ共和国」との対立が続き、スペインやアメリカへの併合を求めたりもしています。
「ハイチ共和国」との平和条約が結ばれるのは「1875年」のことです。
ロゴデザイン
ドミニカ共和国の国旗のカラーをベースにしたロゴとなっています。
ドミニカ共和国 国旗
「Google」の文字の間に描かれているのは「Bayahibe rose:Pereskia quisqueyana」です。サボテン科の植物です。
ロゴ表記されている主な各国のGoogle検索サイト
ドミニカ共和国のGoogleサイト「Independencia de la República Dominicana」
→ https://www.google.com.do
検索される言葉は、「ドミニカ共和国 独立記念日」です。