メアリー・アン・シャッド・キャリー 生誕197周年

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Googleロゴ

2020年10月9日

この日、「カナダ」、「アメリカ」をはじめとして、いくつかの国で、Google検索のロゴが以下のものに変更されています。

Mary Ann Shadd Cary’s 197th Birthday

Mērijas Annas Šadas 197. dzimšanas diena

ロゴ大

ロゴ小

表示された国

この日、「Google」のロゴが変更された国は以下の画像の通りです。

「カナダ」、「アメリカ」をはじめとして、いくつかの国で表示されています。

「メアリー・アン・シャッド・キャリー」さんって??

Mary Ann Shadd Cary:メアリー・アン・シャッド・キャリー

アメリカ系カナダ人の女性教育者、奴隷制反対活動家です。

黒人への教育の観点で大きな影響を与えました。

「1823年10月9日」に生まれて、「1893年6月5日」に逝去されています。

そのため、生誕197周年になります。

アメリカのデラウェア州ウィルミントンでアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれます。

デラウェア州では、黒人への教育は違法だったので、ペンシルバニア州の寄宿学校で学びました。

学校を終えた後に、黒人ための学校を設立し、子供たちに教育を行いました。

1848年には、彼女の書いたアフリカ系アメリカ人の生活改善のための文章が、奴隷制度廃止の運動家「フレデリック・ダグラス」さんによって紹介され、注目されます。

1850年、アメリカで「逃亡奴隷法」が成立すると、家族はカナダに移住します。

オンタリオ州ウィンザーに移り、そこでも黒人のための学校を設立します。

当時のオンタリオ州は、教育が黒人には開かれていなかったため、昼間は子供に、夜間は大人に、と希望する人々に教育を与えました。

1853年3月24日に、「The Provincial Freeman:地方の自由民」という新聞の発行を始めます。

北米で最初の黒人女性新聞発行者となりました。

奴隷制度の撤廃を求めた新聞であり、4年間に渡り、毎週発行されました。

財政難により、新聞の発行は続けられなくなりますが、その内容は多くの黒人に影響を与えました。

1855年から1856年にかけて、アメリカへ行き、奴隷制反対の講演も行いました。

1856年に結婚しますが、1860年に夫が逝去。

この頃には、アメリカの「逃亡奴隷法」は各州で違憲と判断がなされていました。

1860年に彼女はアメリカへ戻りますが、アメリカでは「逃亡奴隷法」が1つのきっかけとなり、南北戦争が始まります。

戦争後は、ワシントンD.C.などで、黒人学校の教師として働きました。

ハワード大学の法学部にも通い、1883年、60歳で卒業しました。

米国で法学位を取得した2番目の黒人女性とされています。

1893年6月5日に胃癌で逝去されています。

関連する過去のロゴ

彼女の文章を紹介した「フレデリック・ダグラス」さんも過去にロゴに取り上げられました。

 フレデリック・ダグラス記念 (2016年2月1日)

ロゴデザイン

「メアリー・アン・シャッド・キャリー」さんがロゴに描かれています。

新聞の記事を書く様子がロゴになっています。

ロゴ表記されている主な各国のGoogle検索サイト

世界各国の「Google」検索URL 一覧

 カナダのGoogleサイト:Mary Ann Shadd
 → https://www.google.ca

 アメリカのGoogleサイト:Mary Ann Shadd
 → https://www.google.com

 ガーナのGoogleサイト:Mary Ann Shadd
 → https://www.google.com.gh

 ラトビアのGoogleサイト:Mary Ann Shadd Cary
 → https://www.google.lv

表示されるGoogleロゴのクリックで検索される言葉は「メアリー・アン・シャッド・キャリー」です。

→ 他の国のロゴを表示させる方法

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