2015年10月1日
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表示された国
ナイジェリア
建国記念日の由来
「10月1日」はサウジアラビアの「独立記念日」です。
「1960年10月1日」に「イギリス」から独立しています。
古くはナイジェリアのジョス高原を中心に鉄器文化などが栄えました。
14世紀以降は、「ベニン王国」や「ソコト帝国」等が興りますが、15世紀になるとヨーロッパ人の来訪が始まります。
16世紀になると、ポルトガル人が「ラゴス」を建設し、奴隷貿易の拠点とします。
この時からナイジェリアの植民地化が始まりました。
海岸地帯は多くの黒人奴隷が売られ、ヨーロッパや南北アメリカ大陸へ運ばれる奴隷貿易船に乗せられ、「Slave Coast:奴隷海岸」という名称でも呼ばれました。
18世紀後半頃から、人道主義の立場から奴隷貿易廃止の気運が高まってきます。
これを受けて、1807年、イギリスが世界に先駆けて「アフリカ人奴隷貿易禁止」を打ち出しました。
アフリカ沿岸に多数の艦艇を配置して奴隷貿易を取り締まり、「ラゴス」などポルトガル人の奴隷貿易港湾を制圧します。
その後、奴隷貿易の代わりに、カカオ等の農産品を中心とした商品貿易に力を入れ始めます。
そして、「ベニン王国」や「ソコト帝国」などを滅ぼし、植民地化します。
1901年にはイギリス保護領、1914年にはイギリス植民地となります。
第2次大戦後、アフリカ各地では独立の気運が高まります。
特にフランスでは1960年に「シャルル・ド・ゴール」さんが自国の13ものアフリカの植民地の独立を認めています。
そのため、1960年は「アフリカの年」とも言われています。
周りのアフリカの国々が独立しているのですから、「ナイジェリア」でも独立運動が活発化します。
その結果、1960年10月1日に主要民族である「ハウサ族」、「イボ族」、「ヨルバ族」による3地域が自治権を持つ連邦国家として独立します。
独立時は「英連邦王国」の構成国でしたが、1963年に連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行しました。
ところが、議会では3種族による対立が起こり、政治は不安定な状況が続きました。
ロゴデザイン
文字の間にはナイジェリアを流れる「ニジェール川」最大の支流「ベヌエ」の上を飛ぶ鷲が描かれています。
ナイジェリアのGoogleサイト「Nigeria Independence Day」
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検索される言葉は、「ナイジェリア独立記念日」です。