2015年11月3日
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表示された国
パナマ
独立記念日の由来
1501年、スペインの探検家「ロドリゴ・デ・バスティーダス」さんがパナマを発見します。
その後、スペインの植民地となっていきます。
ヨーロッパ人の来航以前は、先住民族が生活していました。
1803年になると、ナポレオンがヨーロッパに混乱をもたらします。
このヨーロッパの混乱に乗じて中南米の各地に独立戦争が始まります。
1819年に「シモン・ボリバル」さんがベネズエラの独立を達成します。
これに呼応するようにパナマもスペインから1821年に独立し、「シモン・ボリバル」さんの主催するグラン・コロンビアの一部となりました。
でも、すぐにグラン・コロンビアは崩壊してしまいます。
1830年にグラン・コロンビアは崩壊、「ヌエバ・グラナダ共和国」が建国され、「パナマ」は、その一部となります。
「ヌエバ・グラナダ共和国」は現在の「コロンビア」と「パナマ」周辺の地域の国でした。
1855年になると、「パナマ」は「ヌエバ・グラナダ共和国」から自治権を獲得します。
その後、「ヌエバ・グラナダ共和国」は1863年に連邦国家の「コロンビア合衆国」と変化します。
パナマも「コロンビア合衆国」の一州となりました。この時点では連邦国家の独立した一州でしたが、1866年、コロンビアによる直接支配となってしまい、独立を失います。
1886年、「コロンビア合衆国」は「コロンビア共和国」と名称を変更。
1899年になると、「コロンビア共和国」では千日戦争と呼ばれる大きな内戦が発生します。(千日戦争という名称通り1902年まで3年近く内戦は行われました。)
この内戦に「アメリカ」が介入してきます。
「アメリカ」はかねてより中米に運河をつくりたいと考えており、内戦状態の「コロンビア共和国」でパナマの独立を画策します。
こうしてアメリカの介入により「1903年11月3日」にパナマは「コロンビア共和国」から独立しました。
これが独立記念日の由来です。
その後、アメリカにより運河建設が進められ、1914年にパナマ運河が開通します。
「パナマ運河」の建設を目的としてコロンビアから独立させるというアメリカの思惑がありましたので、独立といっても実際はアメリカに支配されているような状況でした。
コロンビアからの独立の条件としてパナマ運河の建設、アメリカによる運営などの条件が組み込まれていたのです。
この独立の条件がきっかけとなり、1960年代になると、パナマで反米運動が盛んになります。
その結果、1977年、アメリカと「新パナマ運河条約」が結ばれ、1999年12月31日にパナマ運河および主権の返還が決定しました。
そして迎えた1999年12月31日のパナマ運河、主権の返還をもって、「パナマ」は主権を持った国家として再スタートしました。
ロゴデザイン
中央にはパナマ国旗がデザインされています。背景の絵はパナマ運河の風景でしょう。
パナマのGoogleサイト「Independencia de Panamá」
→ https://www.google.com.pa
検索される言葉は、「パナマの独立記念日」です。