2015年11月11日
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ポーランド
独立記念日の由来
ポーランドは「1918年11月11日」にロシア帝国から独立しています。
14世紀〜16世紀にかけて、ポーランド王国はヨーロッパで大きな勢力を誇る国となります。
17世紀になると、スウェーデン、オスマン帝国との戦いにより、少しずつ国力が弱まってきます。
18世紀になると、衰えたポーランドに対して周辺諸国が侵略し始めます。
そして、1772年、ロシア、プロイセン、オーストリアが第1次ポーランド分割を行い、国土の約4分の1を失います。
続いて1793年に第2次分割を行い、1795年の第3次分割でポーランドは消滅しました。
当時の王の「スタニスワフ2世」はロシアに連れて行かれ、その後、軟禁生活を送ったそうです。
当時の王「スタニスワフ2世」の甥にあたる「ユゼフ・ポニャトフスキ」さんはフランスに亡命しました。
彼は、亡命先のフランスで「ナポレオン」の軍に参加し、ナポレオン率いるフランス軍がポーランドの旧領を侵略した際の1807年、一部が「ワルシャワ公国」として独立を回復しています。
ところが、ナポレオン率いるフランス軍の戦況が悪化、ナポレオンが失脚すると、1815年のウィーン会議によって、ポーランドはロシア皇帝を元首とする「ポーランド立憲王国」となります。
「ポーランド立憲王国」といっても、憲法はロシアによって無視されてしまうようなロシアの傀儡政権みたいな国家でした。
そんな中、1830年には、ロシア帝国からの独立および旧ポーランド・リトアニア共和国の復活を目指して「十一月蜂起」が起こりますが、独立するまではいかず、翌年鎮圧されています。
ロシア帝国がクリミア戦争に敗れた1856年、ポーランド・リトアニア連合王国の復活を目指す人々が結集し「一月蜂起」を起こしますが、これもロシア帝国によって鎮圧されてしまいます。
1914年になると、第1次世界大戦が始まります。
1915年、ドイツ軍がポーランドに侵攻、ロシア帝国は対抗できずにポーランド全土を放棄する「大撤退」を行います。
この時点でドイツの占領下に入りますが、結局ドイツは敗戦国となってしまいます。
その後の1919年に第1次世界大戦の戦後処理のため「ヴェルサイユ条約」が結ばれます。
これには「民族自決の原則」が盛り込まれていました。
各民族集団が自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織、政治的運命を決定し、他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利です。
これに基づき、旧ドイツ帝国とロシア帝国から領土が割譲され、「ユゼフ・ピウスツキ」さんを国家元首として共和制のポーランド国家が誕生します。
「ユゼフ・ピウスツキ」さんが国家元首となった日が「11月11日」です。
この日が独立記念日の由来となっています。
ロゴデザイン
デザインされている鳥は「コウノトリ」です。
ポーランドはヨーロッパ最大の「コウノトリ」の生息地としても有名です。
ポーランドのGoogleサイト「Narodowy Dzień Niepodległości」
→ https://www.google.pl
検索される言葉は、「国立独立記念日」です。