2017年1月30日
フレッド コレマツ 生誕98周年
Fred Korematsu’s 98th Birthday
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表示された国
アメリカ合衆国
「フレッド・コレマツ」さんって??
Fred Toyosaburo Korematsu:フレッド・トヨサブロー・コレマツ:是松 豊三郎
日系2世で、第二次世界大戦期に日系人の強制収容の不当性を訴えた活動家です。
「1919年1月30日」に生まれて、「2005年3月30日」に逝去されています。
そのため、生誕98周年になります。
1905年に両親がカリフォルニア州オークランドに渡り、そこで、2世のアメリカ人として生まれました。
子供の頃から、日系人ということで、様々な差別を受けていましたが、高校卒業後に溶接工としての職を得ます。
ところが「1941年12月7日(ハワイ時間)」、日本によるハワイ、真珠湾攻撃が行われ、アメリカでは日系人に対する風当たり強くなっていきます。
その後、第二次世界大戦に突入、政府は1942年、アメリカ西部地区の日系のアメリカ人に対して、財産を処分した上で収容所へ移ることを命じます。
この命により、10万人以上の日系アメリカ人が逮捕されることとなりました。
それを避けるように逃亡。スペイン系のハワイ人と偽っていましたが、結局は日系人と気づかれて逮捕されてしまいます。
逮捕後「アメリカ自由人権協会(ACLU)」は彼に面会し、「裁判を日系アメリカ人抑留の合法性を確認するテストケース」として取り上げることを提案します。
つまり、同じ日系人の逮捕者に対する裁判のモデルケースにしようと持ちかけました。
彼も合意し、裁判の際に、「この国のためなら兵役に服して、いつでも、どこでも、誰とでも戦えます。」という米国に忠誠を誓う宣誓を行いました。
その結果、、禁固刑は免れ、5年の保護観察という判決が下されましたが、結果は「有罪判決」となりました。
この裁判の過程を受け、このまま控訴して争えば無罪を勝ち取れる可能性が高いと考えた「ACLU」は控訴をします。
無罪を勝ち取ることができれば、他の日系人の逮捕者も同じように判決が下される、、、という思いを胸に、彼も裁判を続けます。
ですが、1943年12月に行われた控訴裁判でも「有罪判決」となってしまいます。
さらに「ACLU」は上告します。
1944年12月に行われた最高裁判所の判決も「有罪」となりました。
「日本人のスパイ活動は事実であり、戦時下では軍事上必要な事態である。」というのが、政府側の言い分でした。
彼の「有罪判決」は覆ることはありませんでした。
当時の日系のアメリカ人は、有罪とみなされたとしても、「従順として忠誠を示すことを望むこと」、「波風を立てないこと」、が一般的な考え方でした。
彼のように日系人に対する差別について反対し続け裁判を行うことは異端であり、同じ日系人からも距離を置かれていたそうです。
裁判後は、彼は、この件について沈黙を守ることとなります。
そして、時は流れ1980年。カーター大統領が「戦時における民間人の転住・抑留に関する委員会」(CWRIC)を設置し、第二次世界大戦中の日系人の強制収容に関する調査を行うよう命じます。
調査の結果、「人種差別や戦時下のヒステリー、及び政治指導者の失敗により起こったものだ」と結論付けられます。
「是松 豊三郎」さんに対しても、歴史学者から「戦時中の資料の中から、日本人がスパイ活動をしていたという事実は無根である」という旨の連絡を受けます。
これを受け、再度、政府と争うことを決意します。
1年以上にわたる資料の収集などを経て「1983年11月10日」、過去の「有罪判決を無効」との決定を下され、彼の犯罪歴は抹消されることとなりました。
彼は法廷で「私は政府にかつての間違いを認めてほしいのです。そして、人種・宗教・肌の色に関係なく、同じアメリカ人があのような扱いを二度と受けないようにしていただきたいのです。」と述べたそうです。
1998年には、クリントン大統領から「大統領自由勲章」を授与されました。
彼の出身地であり、また、逮捕され、最初の有罪判決を受けた地「カリフォルニア州」では、彼の誕生日「1月30日」を「フレッド・コレマツの日」と制定しています。
「州民に憲法で保証された市民の自由の重要性を再認識する機会」として制定されました。
ロゴデザイン
「フレッド・コレマツ」さんがデザインされています。
▼ アメリカのGoogleサイト:Fred Korematsu
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検索される言葉は「フレッド・コレマツ」です。