2018年12月21日
Connie Mark’s 95th Birthday
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表示された国
イギリス
「コニー・マーク」さんって??
Connie Mark:コニー・マーク
ジャマイカ出身の女性活動家です。
イギリス植民地の英国人の戦争貢献などを見直し、評価する活動を行いました。
「1923年12月21日」に生まれて、「2007年6月3日」に逝去されています。
そのため、生誕95周年となります。
イギリスの植民地時代の「ジャマイカ」のキングストンで生まれます。
本名は「Constance Winifred McDonald:コンスタンス・ウィニフレッド・マクドナルド」さん。
彼女は、母親の家系がスコットランドやレバノンからの移民、父親の家系がインドからの移民であり、様々な血が混ざっていました。
キングストンで女学校に通い、第二次世界大戦時の1943年に簿記の知識を見込まれ、イギリスが組織した女性部隊「Auxiliary Territorial Service:補助地方義勇軍(ATS)」へと招集されます。
キングストンの英国軍病院で、医療係としてけが人の報告書の作成などを行いました。
「ATS」で働き、昇進した際に、英国軍の規則に記載のあった追加の給与を要求しますが、断られてしまいます。
英国軍に所属しながら、要求が拒否されたのは、植民地の住人であるから、また女性であるからの差別、不平等ではないかと感じるようになっていきます。
「ATS」は戦後に「Royal Army Medical Corps:王立陸軍医療軍(RAMC)」へと変化しました。
1952年、ジャマイカのクリケット選手と結婚。
夫がイギリス、ダラムのチームと契約を結んだことから、イギリスへと移住することになります。
イギリスへ移住した後も「RAMC」で医療の事務の仕事を継続します。
同時に自身の経験から、戦争に参加した植民地の英国人、そして、後方で支える女性たちの貢献を認知する活動を行なっていきます。
また、植民地の英国人のための慈善事業、教育プロジェクト等の活動も積極的に行いました。
1980年、「Friends of Mary Seacole:メアリ・シーコールの友人」(後のメアリ・シーコール記念協会)という団体を設立。
「メアリ・シーコール」さんは、ジャマイカ出身の看護師で、クリミア戦争時に前線へ赴き、敵味方隔てなく多くの負傷者を救った方です。
「メアリ・シーコール」さんを始め、植民地の黒人英国人の戦争貢献などを見直し、平等に評価する活動を生涯に渡り行いました。
関連する過去のロゴ
ジャマイカ出身の看護師「メアリ・シーコール」さんは、過去にロゴとして取り上げられてました。
▼ メアリ・シーコールを称えて (2016年10月14日)
ロゴデザイン
「コニー・マーク」さんがロゴに描かれています。
「Google」の文字と「EQUALITY:平等」の文字が描かれています。
▼ イギリスのGoogleサイト:Connie Mark
→ https://www.google.co.uk
→→→ 他の国のロゴを表示させる方法