2019年8月6日
¡Feliz día de la Independencia!
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表示された国
ボリビア
独立記念日
Día de la Independencia:独立記念日
「8月6日」はボリビアの独立記念日です。
「1825年8月6日」、「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」さんと「アンドレス・デ・サンタ・クルス」さんがアルト・ペルー(現在のボリビア)をスペインから解放したことに由来します。
南アメリカのボリビア周辺は、16世紀以降、スペインの植民地化が進みます。
1803年になると、フランスにナポレオンが登場し、ヨーロッパに混乱をもたらします。
「スペイン」は当初、ナポレオン率いる「フランス」と同盟関係でした。
そんな1805年に「トラファルガーの海戦」で「スペイン」と「フランス」の連合軍は「イギリス」に負けてしまいます。
無敵艦隊と恐れられた「スペイン」海軍が敗れた事で、スペインに支配されていた中南米の地域でも、各地に独立の気運が高まりました。
また、当時、スペインは、国王「カルロス4世」と王子「フェルナンド7世」が対立していました。
これを見かねたナポレオンは1808年にスペイン王を廃位にして、自分の兄の「ジョゼフ・ボナパルト」をスペイン王にしてしまいます。
スペインとは全く関係のないフランス人のナポレオンの兄が、勝手に王になったことで、スペイン国民も反感を持ち、スペイン全土は混乱に陥ります。
植民地でも、本国の混乱を好機と捉え、独立の気運が抑えられないものとなっていきます。
まずは、「ベネズエラ」出身の「シモン・ボリバル」さんが1821年の「カラボボの戦い」でスペイン軍を破りベネズエラを独立させます。
ですが、まだ周りの地域はスペインに支配されていました。
「シモン・ボリバル」さんは、周りも独立させないと、「ベネズエラ」の独立は安定したものにならないと考え、南アメリカ全土の解放を目指します。
その部下にいたのが、ベネズエラ出身の「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」さんと、アルト・ペルー(現在のボリビア)出身の「アンドレス・デ・サンタ・クルス」さんでした。
彼らの解放軍は快進撃を続けます。
・1822年 「エクアドル」を解放
・1824年 「ペルー」を解放
そして「1825年8月6日」に「アルト・ペルー共和国」が誕生します。
この日がボリビアの「独立記念日」の由来になっています。
その20日後の「8月26日」に、「アルト・ペルー共和国」は独立における「シモン・ボリバル」さんと「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」さんの功績を讃え、それぞれの名前から、国名を「ボリビア共和国」、首都名を「スクレ」と改めました。
「シモン・ボリバル」さんは新生ボリビア共和国の初代大統領にも選出されました。
ちなみに2代目大統領になるのは「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」さんです。
ここで気になるのが、「アンドレス・デ・サンタ・クルス」さん。「シモン・ボリバル」さんの部下で、ボリビア出身の方なので、どんな活躍をしたのかが気になります。
彼は、「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」さんの後継者となり、1829年には大統領になりました。
そればかりか、内戦状態にあった隣国ペルーに介入し、勝利をおさめ1836年にはペルーを併合して「ペルー・ボリビア連合」という国家を設立します。
ここまではよかったのですが、この連合国家に、隣国のチリやアルゼンチンは脅威を感じ、軍を動かします。
「ペルー・ボリビア連合」は1839年の「ユンガイの戦い」で敗れると、この連合国家は崩壊、彼も失脚してしまいました。
その後、ボリビアは安定した政権を築く事ができず、何度もクーデターを起こしながら現在に至っています。
関連する過去のロゴ
ボリビアには、この独立戦争時に「母の日」の由来にもなった「Heroínas de la Coronilla」(コロニーヤのヒロイン)というエピソードがあります。
詳細は、「母の日」のロゴが掲載された時に記載していますので、合わせてご確認ください。
▼ 2019年 母の日(ボリビア) (2019年5月27日)
ロゴデザイン
ボリビアの国旗のカラーがベースになっています。
【世界各国の「Google」検索URL 一覧】【En】
▼ ボリビアのGoogleサイト:Día de la Independencia de Bolivia
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→→→ 他の国のロゴを表示させる方法
過去にもボリビアの「独立記念日」のロゴが表示されました。
▼ 2016年 ボリビア独立記念日 (2016年8月6日)
▼ 2015年 ボリビア独立記念日 (2015年8月6日)