2019年12月12日
Sikukuu ya Jamhuri 2019
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表示された国
ケニア
共和国記念日
Jamhuri Day:独立共和国記念日
「ケニア」共和国(独立)記念日は「12月12日」です。
「1963年12月12日」に「イギリス」から独立しています。
アフリカは古くは現地民が様々な部族単位で生活をしていました。
19世紀になると、アフリカはヨーロッパ諸国の植民地化が進んでいきます。
ケニアも例外ではなく、イギリスやドイツが進出してきます。
その結果、1888年に沿岸部が帝国イギリス東アフリカ会社(IBEA)となり、イギリスの保護下に入ります。
さらに、その後の1895年にはイギリス政府によって「東アフリカ保護領」の設立が宣言され、現在のケニアの国土の大半がそこに組み込まれました。
モンバサからウガンダへと通じるウガンダ鉄道が建設され、イギリスの植民地化が進んでいきます。
そして、1920年、「東アフリカ保護領」は直轄植民地となり、「ケニア植民地」と名称を変更します。
植民地政府は「先住民登録条令(キパンデ制度)」を施行します。
これは、アフリカ人男子を強制的に登録させることで、移動の制限をし、その労働力を確保することを目的としたものでした。
この制度を始め、抑圧された先住民の反感もあり、この頃から、反植民地化運動が起こってきます。
1950年代になると、「キクユ族」を中心に一般の労働者や労働組合員によって構成され、ケニアの独立および民族解放を目指した団体が独立運動を展開します。(マウマウ団の乱)
イギリス側も鎮圧に乗り出し、リーダーとされていた「ジョモ・ケニヤッタ」さんを逮捕。
「マウマウ団の乱」は一応鎮圧されましたが、ケニア全土を巻き込んだ騒動となり、両者多数の死傷者、逮捕者を出し、またイギリス側の戦費も巨額なものとなりました。
その後、1957年、初めてケニア議会の直接選挙が行なわれました。
この選挙で当選したアフリカ人議員の多くが、独立運動の指導者「ジョモ・ケニヤッタ」さんの釈放を要求する民衆運動を展開します。
これを受けてイギリス側は、民衆運動が再発する事を恐れて「ジョモ・ケニヤッタ」さんを釈放しました。
それからも「ジョモ・ケニヤッタ」さんを中心に独立運動を続け、「1963年12月12日」にイギリス連邦内の自治国として独立を達成します。
初代大統領には「ジョモ・ケニヤッタ」さんが就きました。
翌1964年に共和制へ移行し、ケニア共和国となります。
「ジョモ・ケニヤッタ」さんは、「ムゼー」愛称で敬愛され、建国の父と言われています。
現在のケニア大統領である「ウフル・ケニヤッタ」さんは、「ジョモ・ケニヤッタ」さんの息子です。
ロゴデザイン
ケニアの国旗のカラーがベースになっています。
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→→→ 他の国のロゴを表示させる方法
過去にもケニアの「独立記念日」のロゴが表示されました。
▼ 2018年 ケニア独立記念日 (2018年12月12日)
▼ 2017年 ケニア独立記念日 (2017年12月12日)
▼ 2016年 ケニア独立記念日 (2016年12月12日)
▼ 2015年 ケニア独立記念日 (2015年12月12日)