2020年2月4日
Celebrating Nkosi Johnson
Tôn vinh Nkosi Johnson
Celebrando a Nkosi Johnson
ンコシ・ジョンソンを称えて
ロゴ大
ロゴ小
表示された国
「南アフリカ」をはじめとして、多くの国で表示されています。
「ンコシ・ジョンソン」さんって??
Nkosi Johnson:ンコシ・ジョンソン
南アフリカの子供です。
生まれながらの「HIV / AIDS(エイズ)」感染者で、その偏見や差別の撤廃に向けた活動を行いました。
「1989年2月4日」に生まれて、「2001年6月1日」に逝去されています。享年12歳。
存命であれば、今年で31歳を迎えるはずでした。
南アフリカ、ダンハウサールの近くの村で生まれます。
生まれた時の名は「Xolani Nkosi:ソラニ・ンコシ」
生まれながらにして「HIV / AIDS(エイズ)」に感染していました。原因は母子感染でした。
南アフリカは、アパルトヘイトによる人種差別や、政府の対策の遅れなどにより、国民の10人の1人の割合でHIVに感染しているといわれています。
特に、差別を受けていた黒人の貧困層に、多くのHIV感染者がいました。
彼の母親もHIV感染者の一人でした。
2人はケアセンターでボランティア医師の「Gail Johnson:ゲイル・ジョンソン」さん(女性)に出会います。
母親もHIVで弱りつつあり、子の世話が十分にできないため、息子を「ゲイル・ジョンソン」さんに託しました。
彼は、「ゲイル・ジョンソン」さんの養子となりました。
この時から、「ゲイル」さんと共に、治療を続けながら生活を送っていくことになります。
1997年、小学校に通う年齢になった時に問題が起こりました。
小学校側がHIVに感染した彼の通学を認めませんでした。
このことは、政治的問題として南アフリカ国内で大きく取り上げられました。後に、差別による入学の拒否は、撤廃されることになります。
この年に母親はHIVで亡くなりました。
この経験を経て、彼は、HIVに感染した親子が差別されることなく治療を受け、一緒に暮らしていける環境を作ることを目標とします。
1999年、「ゲイル」さんの協力を得て、「Nkosi’s Haven:ンコシの避難所」を開設。
HIVに感染した親子に住居を提供した南アフリカで最初の施設で、多くの親子患者を受け入れました。
彼の病状も成長に伴い、少しずつ悪化していましたが、薬や治療の効果もあり、ある程度、活発な生活を送ることができたそうです。
そして、2000年、南アフリカのダーバンで開催された13回目の「International AIDS Society:国際エイズ会議」で、彼はスピーチをしました。
「HIV / AIDS(エイズ)」患者を差別せずに、平等に扱って、適切な治療を受けさせてくださいという内容でした。
彼の言葉の一部は以下の通りです。
Care for us and accept us — we are all human beings. We are normal. We have hands. We have feet. We can walk, we can talk, we have needs just like everyone else — don’t be afraid of us — we are all the same!
私たちを世話し、受け入れてください。私たちは同じ人間です。私たちは普通です。私たちは手があります。足があります。歩くこともできる、話すこともできる。他のみんなと同じく要求したいことだってある。怖がらないでください。みんな同じなんです。
アパルトヘイトの撤廃に大きく貢献し、大統領も務めた「ネルソン・マンデラ」さんは、彼を「icon of the struggle for life:生きるために戦う象徴」と称しました。
このスピーチの後、彼の容体は急速に悪化していきます。
寝たきりで、発作に苦しみ、食品を食べることも困難となり、やせ衰えていきました。
「2001年6月1日」に亡くなりました。
奇しくもこの日(6月1日)は「International Children’s Day:国際こどもの日」でした。
12歳という若さで亡くなりましたが、生まれながらにHIVに感染した子供としては当時の最年長記録でした。
彼の存在は、南アフリカ社会に大きく影響を与え、少しずつではありますが、HIV患者への対応の改善や、治療、予防などの施策が進んでいます。
彼の開設した「Nkosi’s Haven:ンコシの避難所」は、NGO団体として、現在でも「HIV / AIDS(エイズ)」に苦しむ親子のケア、サポートを行なっています。
関連する過去のロゴ
ブラジルでHIV陽性者の援助を行なった「ブレンダ・リー」さんが、過去にロゴとして取り上げられました。
「Palácio das Princesas:プリンセスハウス」と呼ばれるサポートハウスを開設し、同性愛者や、HIV陽性者の受け入れ、援助などを行ないました。
よろしければ合わせてご確認ください。
▼ ブレンダ・リーを称えて (2019年1月29日)
ロゴデザイン
「ンコシ・ジョンソン」さんがスピーチを様子がロゴとなっています。
▼ 南アフリカのGoogleサイト:Nkosi Johnson
→ https://www.google.co.za
▼ ベトナムのGoogleサイト:Nkosi Johnson
→ https://www.google.com.vn
▼ ペルーのGoogleサイト:Nkosi Johnson
→ https://www.google.com.pe
▼ 日本のGoogleサイト:ンコシ・ジョンソン
→ https://www.google.co.jp
→→→ 他の国のロゴを表示させる方法