2020年3月11日
Lietuvos Nepriklausomybės atkūrimo diena
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リトアニア
独立回復記念日
Nepriklausomybės atkūrimo diena:独立回復記念日
「リトアニア」は独立記念日が2つあります。
▼ 2月16日:国家再建記念日
▼ 3月11日:独立回復記念日
リトアニアの名が、歴史的な文書に登場するのは11世紀のことです。
13世紀ごろに「リトアニア大公国」が建国され、全盛期にはヨーロッパの強国にも数えられていました。
ところが、15世紀になると、「モスクワ大公国」が力をつけリトアニアの脅威となってきます。
そこで、隣国のポーランドとの関係強化を進め、1569年、「ポーランド・リトアニア共和国」を誕生させます。
17世紀になると、スウェーデンやオスマン帝国との戦いにより、少しずつ国力が弱まってきます。
18世紀になると、衰えた「ポーランド・リトアニア共和国」に対して周辺諸国が侵略し始めます。
そして、1772年、1793年、1795年と3回に分けてロシア、プロイセン、オーストリアによる「ポーランド・リトアニア共和国」の領土の分割が行われ、国は解体されてしまいました。
この時の分割で、現在のリトアニアの領土の大半は、ロシア帝国領となりました。
1914年になると、第1次世界大戦が始まります。
1915年、ドイツ軍がポーランドに侵攻、ロシア帝国は対抗できずにポーランド、リトアニア等を放棄する「大撤退」を行います。
この時点でドイツの占領下に入りますが、結局ドイツは敗戦国となってしまい、ロシア領へと戻ってしまいます。
また、1917年になると、ロシアでは「ロシア革命」が発生します。
この混乱に乗じて「1918年2月16日」に「リトアニア評議会」がリトアニアの独立を宣言しました。
この日が「国家再建記念日」と言われる独立記念日の由来です。
それから、しばらく独立を維持していましたが、第2次世界大戦が始まると、ソビエト連邦から侵攻され独立を失います。
戦後は「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」として、ソビエト連邦の構成国の1国となります。
1980年代後半になると、独立運動が盛んになってきます。
1990年に行われた議会選挙で、独立運動を指導した政治組織(サユディス)が勝利すると、「1990年3月11日」に独立回復を宣言しました。
この日が「独立回復記念日」と言われる独立記念日の由来です。
この独立宣言は「リトアニア」の一方的なもので、ソビエト連邦側は認めずに、これに対して経済封鎖等を行います。
ですが、1991年、ソビエト連邦構成国の中でも大部分の地域を所有していた「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」が「ロシア共和国」と改称して主権宣言を行った事で、ソビエト連邦の崩壊が始まります。
この時点でようやく、ソビエト連邦は「リトアニア」の独立を承認しました。(1991年9月6日)
関連する過去のロゴ
今年(2020年)は、「2月16日」の国家再建記念日にもロゴが変更となりました。
よろしければ合わせてご確認ください。
▼ 2020年 リトアニア独立記念日 (2020年2月16日)
ロゴデザイン
リトアニアの国旗がデザインされています。
リトアニア国旗
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