2020年5月9日
England’s Forgotten Footballer, the incredible story of Frank Soo
ロゴ大
ロゴ小
表示された国
イギリス
「フランク・スー」さんって??
Mary Somerville:フランク・スー
中国系イングランド人の選手のサッカー選手です。
イングランドで、初の中国系の選手となりました。
「1914年3月8日」に生まれて、「1991年1月25日」に逝去されています。
イングランドのダービーシャーで中国人の父親と、イギリス人の母親の元に生まれます。
リバプールで育ち、学生時代からサッカー選手として注目されていました。
1933年に、「ストーク・シティFC」にスカウトされ、プロ選手としてのキャリアをスタートさせます。
イングランドのサッカーリーグで、初の中国系イングランド人の選手となりました。
チームの中心選手となり、1938年にはキャプテンに指名されました。
イングランド国籍であったことから、イングランド代表候補にもあげられていましたが、第二次世界大戦の勃発により、その機会は失われてしまいます。
1941年、イギリス空軍から召集を受けます。
空軍では訓練の日々でしたが、その中でも、サッカーをプレイする機会を模索しました。
戦時中の、1942年〜1945年にかけて、「イングランド代表」として召集され、9試合に出場しました。
代表チームにおいては、ヨーロッパ系以外の人種(有色人種)として初めての出場でした。
その最初の試合が行われたのが「1942年5月9日」にニニアン・パークで行われたウェールズ戦であり、それを記念してロゴが変更となりました。(試合の結果は 1-0 でウェールズが勝利)
ただし、戦時中の代表チームの記録は、現在では「非公式」とされています。
そのため、彼の出場した9試合についても、正式な記録としては認められていません。
「ストーク・シティFC」では、長らく彼は主力選手でした。
チームには、スーパースターの「スタンリー・マシューズ」さんが在籍しており、戦後を迎える頃になると、彼を中心としたチーム作りが行われるようになっていました。
その体制に、自分の希望するプレーができないと感じ1945年に「レスター・シティFC」へと移籍。
その後、「ルートン・タウンFC」、「チェルムスフォード・シティFC」とチームを変えながら、1950年までプレイを続けました。
選手引退後は、イギリスだけでなく、ヨーロッパ各国で指導者として活躍しました。
1952年にはノルウェー代表チームの監督も勤めました。
ロゴデザイン
「フランク・スー」さんがリフティングをしている様子がロゴとなっています。
「g」がクルッと回転し、彼のつけていた背番号「6」に変化します。
▼ イギリスのGoogleサイト:Frank Soo
→ https://www.google.co.uk
→→→ 他の国のロゴを表示させる方法