2020年7月9日
¡Feliz Día de la Independencia!
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表示された国
アルゼンチン
独立記念日
Día de la independencia:独立記念日
「7月9日」はアルゼンチンの独立記念日です。
「1816年7月9日」に独立宣言を行ったことに由来します。
コロンブスのアメリカ大陸発見以降、ヨーロッパからの侵攻が始まります。
アルゼンチンも例外ではなく、スペインの植民地となってしまいます。
19世紀に入ると、ヨーロッパはナポレオンの登場により、混乱します。
「スペイン」は当初、ナポレオン率いる「フランス」と同盟関係でした。
1805年に「トラファルガーの海戦」で「スペイン」と「フランス」の連合軍は「イギリス」に負けてしまいます。
「イギリス」は、海戦で勝ったことに乗じて、1806年、1807年と「ブエノスアイレス」、「モンテビデオ」など、スペインの南米植民地に侵攻しますが、スペインからの移住者の子孫を中心に退けられてしまいます。
イギリスのスペインの植民地への侵攻は失敗に終わりました。
スペインに支配されていた中南米の地域では、無敵艦隊と恐れられた「スペイン」海軍が敗れた事で、各地に独立の気運が高まりました。
さて、せっかく同盟していた「スペイン」と「フランス」でしたが、当時、スペインは、国王「カルロス4世」と王子「フェルナンド7世」が対立していました。
これを見かねたナポレオンは1808年にスペイン王を廃位にして、自分の兄の「ジョゼフ・ボナパルト」をスペイン王にしてしまいます。
スペインとは全く関係のないフランス人のナポレオンの兄が、勝手に王になったことで、スペイン国民も反感を持ち、スペイン全土は混乱に陥ります。
スペイン本国の混乱の隙に、スペインの植民地「ブエノスアイレス」では、自治委員会を設立し、1910年、植民地行政権を奪取しました。(五月革命)
この「五月革命」については、起こした当事者達の考えがバラバラでした。「独立を希望」する人もいれば、「自治権さえあればスペインの植民地でも良い」という考えの人もいました。また、独立を希望する中にも、「立憲君主制」を推す人、「共和制」を推す人と様々でした。
革命を起こし、自治権を奪取したまではよかったのですが、その後の行政手段について意思疎通がなされていない状態でした。
また、「ブエノスアイレス」は自治を宣言しましたが、周りのスペインの植民地「パラグアイ」、「ペルー」等は一緒になって賛同してくれませんでした。
そのため、「パラグアイ」、「ペルー」等に駐屯しているスペイン軍と戦いを繰り広げることになります。
そして、周りの植民地と戦争をしていた「1816年7月9日」に「トゥクマンの議会」で正式に独立を宣言します。
この日が「独立記念日」の由来の日です。
でも、残念なことに、この宣言の時点では独立の方向も定まっていませんでした。
前回の自治権を獲得した時と同じく、独立政府内で意思疎通ができていませんでした。
そのため、しばらくは内乱が続くことになります。
この独立宣言については、当時は「アルゼンチン」ではなく、植民地地域の「ラプラタ川流域」が独立を宣言したものです。
ロゴデザイン
アルゼンチンの国旗のカラーがベースになっています。
中央には、アルゼンチン国花である「CEIBO:セイボ」が描かれ、「Google」の文字も見受けられます。
【世界各国の「Google」検索URL 一覧】【En】
▼ アルゼンチンのGoogleサイト:Día de la independencia
→ https://www.google.com.ar
→→→ 他の国のロゴを表示させる方法
過去にもアルゼンチンの「独立記念日」のロゴが表示されました。
▼ 2019年 アルゼンチン独立記念日 (2019年7月9日)
▼ 2018年 アルゼンチン独立記念日 (2018年7月9日)
▼ 2017年 アルゼンチン独立記念日 (2017年7月9日)
▼ 2016年 アルゼンチン独立記念日 (2016年7月9日)
▼ 2015年 アルゼンチン独立記念日 (2015年7月9日)